U子は82年頃から『プルーブ』という美術モデルの派遣会社に所属して、多摩美、武蔵美、文化学院、朝日カルチャーセンターなどでデッサンモデルをしていました。沖縄へもその仕事の関係で度々行っていたようです。
そういえばU子がモヒカンにしていた時はウィッグを被って仕事をしていたことを思い出しました。
その頃の同じモデル仲間だった方に当時の様子が聞けました。
「U子は身体は小さかったけどきゅっと締まって目に力があって、その存在感で彼女が教室にいると、学生さんたちも真剣勝負という感じになって、張り詰めた緊張感があった」と。
そのデッサンを元に、大作を仕上げた学生さんはいたのだろうか。上記のコメントを下さった方は絵を完成させていた人を見た記憶があり、それがU子という人だと知らずに描いてたと思うとのことだった。
どこかに大きく描かれたU子の絵の作品があるのなら、それもまた、いつか見てみたいものです。
久保優子 u-co archives
久保優子 U子 について ご紹介していきます。 2019年3月8日 開設
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