ミニコミや雑誌に掲載されたU子の言葉を紹介します。
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2019年の"上映会"開催3日前に、アレルギーや水の羽の写真をたくさん撮っていた方と連絡がつき、ご来場の皆さんと見ることが出来ました。感謝します。Photo by 西脇"藤田"ひろ美
昨年の上映会の準備中に、改めてU子からの手紙を読み直していて、U子が最期の時を過ごした街をふと検索してみました。
2019年8月23日に新宿ROCK CAFE LOFT is your roomで行ったイベントです。
U子は82年頃から『プルーブ』という美術モデルの派遣会社に所属して、多摩美、武蔵美、文化学院、朝日カルチャーセンターなどでデッサンモデルをしていました。沖縄へもその仕事の関係で度々行っていたようです。そういえばU子がモヒカンにしていた時はウィッグを被って仕事をしていたことを思い出しました。その頃の同じモデル仲間だった方に当時の様子が聞けました。「U子は身体は小さかったけどきゅっと締まって目に力があって、その存在感で彼女が教室にいると、学生さんたちも真剣勝負という感じになって、張り詰めた緊張感があった」と。そのデッサンを元に、大作を仕上げた学生さんはいたのだろうか。上記のコメントを下さった方は絵を完成させていた人を見た記憶があり、それがU子という人だと知らずに描いてたと思うとのことだった。 どこかに大きく描かれたU子の絵の作品があるのなら、それもまた、いつか見てみたいものです。
U子は札幌で北大の映画研究会の自主制作映画81年公開の『MIDNIGHT SANCTION』に出演しています。彼女はその年の夏に上京したので完成作品を観ていないと思われます。わたしはこの作品は他に友人も関わっていたことから上映会に行っており、古い写真と一緒にチケットも保存されていました。また観られる機会があればいいのですが。
2012年に活動を再開したアレルギーのボーカルの宙也さんがInstagramで度々、U子の想い出を語っておられます。
Sasaki Hideaki's film - TASTE OF PAINCANDY - 1991
U子の最初の旅は1987年に行ったインド、チベットでした。帰国後に見せてもらった写真の一枚。ほんとにこんな凄い所に行ったの?この写真をU子はあっさりと私にくれました。実際にその目で見たのだから、写真には未練はなかったのでしょう。
こちらでは撮影された方の許可を頂けたものを掲載していきたいと考えています。現在はどなたが撮影されたのかわからないまま、正式に許可を頂かないまま暫定で使用しているものもあり、申し訳なく思います。このサイトのフォトギャラリーは今後、ここをご覧になった方のお持ちのU子の写真をエピソードと共にご提供いただければと考えております。(T)よろしくお願い致します。 連絡先はこちらuco.archives@gmail.com
このサイトのために佐藤ジン氏がU子を撮ったいくつかの写真を協力して下さいました。※無断転載をお断りします。
このベースのボディに彪子と書いたのは、北大軽音部の先輩のお兄さんだと聞いています。 U子は1979年頃から、札幌のミニコミ仲間と女の子バンド『ベラ』を結成して、北大軽音部に所属します。メンバーに北大の学生さんはいなかったようです。U子がやっていたイエスファンクラブの会報誌に、北大軽音部の方のライブ評を書いたことが入部のきっかけのようです。