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絵になったU子

 U子は82年頃から『プルーブ』という美術モデルの派遣会社に所属して、多摩美、武蔵美、文化学院、朝日カルチャーセンターなどでデッサンモデルをしていました。沖縄へもその仕事の関係で度々行っていたようです。そういえばU子がモヒカンにしていた時はウィッグを被って仕事をしていたことを思い出しました。その頃の同じモデル仲間だった方に当時の様子が聞けました。「U子は身体は小さかったけどきゅっと締まって目に力があって、その存在感で彼女が教室にいると、学生さんたちも真剣勝負という感じになって、張り詰めた緊張感があった」と。そのデッサンを元に、大作を仕上げた学生さんはいたのだろうか。上記のコメントを下さった方は絵を完成させていた人を見た記憶があり、それがU子という人だと知らずに描いてたと思うとのことだった。 どこかに大きく描かれたU子の絵の作品があるのなら、それもまた、いつか見てみたいものです。 

使用する写真について

こちらでは撮影された方の許可を頂けたものを掲載していきたいと考えています。現在はどなたが撮影されたのかわからないまま、正式に許可を頂かないまま暫定で使用しているものもあり、申し訳なく思います。このサイトのフォトギャラリーは今後、ここをご覧になった方のお持ちのU子の写真をエピソードと共にご提供いただければと考えております。(T)よろしくお願い致します。 連絡先はこちらuco.archives@gmail.com

北大軽音部の頃

 このベースのボディに彪子と書いたのは、北大軽音部の先輩のお兄さんだと聞いています。 U子は1979年頃から、札幌のミニコミ仲間と女の子バンド『ベラ』を結成して、北大軽音部に所属します。メンバーに北大の学生さんはいなかったようです。U子がやっていたイエスファンクラブの会報誌に、北大軽音部の方のライブ評を書いたことが入部のきっかけのようです。